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日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●ビリーバンバン「白いブランコ」、「さよならをするために」、「また君に恋してる」 [日本のフォークの歴史]

菅原孝・進の二人による兄弟デュオであるビリーバンバン。

まるで高校生のフォークサークルが出てきたような清潔感あふれるフォークデュオだ。

1966年に当時青山学院大学の学生であった進が友人達四人組のバンドとして結成。翌年メンバーチェンジが行われ、孝とパーカッションの中野光雄(後のせんだみつお)の三人組のバンドとなる。

その頃から、アマチュアバンドに物凄い腕前の持ち主がいるとの噂が音楽業界関係者の間に広まり、浜口庫之助の指導を受け、紆余曲折を経てビリーバンバンは孝と進による兄弟デュオとして、「白いブランコ」でメジャーデビュー、20万枚を超える売上となり、一躍フォークシンガーの代表的存在として人気を得る。

1972年、テレビドラマ『三丁目4番地』(日本テレビ)の主題歌である「さよならをするために」が約80万枚の大ヒット、その年の『第23回NHK紅白歌合戦』にも出場。

2009年、坂本冬美がビリーバンバンの「また君に恋してる」をカバーし、ヒット。

第51回日本レコード大賞では優秀作品賞を受賞。

第60回NHK紅白歌合戦の歌唱曲にも選ばれる。


●ビリーバンバン「白いブランコ」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=DO2mKlfmMZc



●ビリーバンバン「さよならをするために」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=aAx2guI24IY

この曲は新鮮だったなぁ。作詞は石坂浩二・・・本当に多彩な人だよね。



●ビリーバンバン「また君に恋してる」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=7G1qeNWBPkU

この曲は名曲だよね。フォークと呼んでもいいし、演歌と呼んでもいい。

音楽の垣根を越えての名曲だ。


実は、坂本冬美にフォークに匂いを見出したのは、忌野清志郎である。

ある放送局の喫茶店で、営業に来ていた坂本冬美の声の美しさとうまさに驚き、そのまま1991年に細野晴臣、忌野清志郎とHISを結成。
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=B7aKAKPIMNo



■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作


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日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●高田渡「自衛隊に入ろう」(1968年) [日本のフォークの歴史]

1960年代後半に、遠藤賢司、南正人、金子章平(後に音楽プロデューサーとして活躍)、真崎義博(ボロディラン)らと東京でアマチュアシンガーの集団「アゴラ」として活動。

1968年第3回関西フォークキャンプ(8月9日-11日、京都・山崎「宝寺」)に参加。

1960年代末、京都に拠点を移す。高石ともや、岡林信康、中川五郎、早川義夫、加川良、岩井宏らと関西フォーク・ムーブメントの中心的存在となる。

1969年にURCレコードから五つの赤い風船とのカップリングアルバムでデビュー。

また後に、京都のひがしのひとし、古川豪らと親交を深める。

全日本フォークジャンボリーには第1回から参加。また第2回ではURC関連の出版社にいた加川良をステージ上に引っぱり出し、フォークシンガーとしてデビューさせる (後にステージ上に引っぱり出したのは演出であり、フォークジャンボリーで加川をデビューさせるのは予定されていたことだと加川によって明かされる)。

弾き語りと対話形式の『汽車が田舎を通るそのとき』をリリース。

キングから、大瀧を除くはっぴいえんど(細野晴臣、鈴木茂、松本隆)を従えた『ごあいさつ』をリリース。

この『ごあいさつ』には、高田の代表曲でシングルカットもされ、後に真心ブラザーズがカバーした「自転車にのって」が収録されている。



●高田渡「自衛隊に入ろう」を唄い、観客に衝撃を与える。
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=XFRkB3mpqD8



冗談のようだが、この「自衛隊に入ろう」を本物の『自衛隊』が広報・隊員募集に使おうとした。

あやうく本採用される前に「自衛隊」を皮肉った歌であることが上の人に伝わり、採用されなかった。(お互いによかったね。)




●高田渡「値上げ」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=ngcIIpT5wxs


日本中が高度成長でインフレの時代を象徴するような歌だ。(笑える。)



●詩人三木卓の名作である「系図」をフォークソングにした。(しんみりといい歌だ。)
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=vbEbPbQ5RMc

本当に高田渡も「酒飲み」で、56歳という若さで亡くなった。


●高田渡には、こういう「ほのぼの」とした「私小説」ふうのフォークソングが多い。

「自転車にのって」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=Bn5uzJa8twU



●高田渡「生活の柄」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=XEdWP-EkNwc


生活の匂いがいっぱいのフォークソングなのだ。




■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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タグ:高田渡
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日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●岡林信康「友よ」(1967年) [日本のフォークの歴史]

岡林信康は「フォークの神様」の愛称で知られる。

高石ともやに出会いギターを始める。

この岡林信康の登場で、日本のフォーク界は急激に「反戦」「反体制」につき進む。


1968年、京都で行われた第3回フォークキャンプに参加。

同年9月、山谷に住む日雇い労働者を題材とした「山谷ブルース」でビクターよりレコードデビュー。

翌年までに、「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」「くそくらえ節」「がいこつの歌」など、名作・問題作を発表。

その内容から、多くの曲が放送禁止となる。

一世を風靡し、「フォークの神様」と言われたが、労音との軋轢や周囲が押しつけてくるイメージと本人の志向のギャップ(同時期、岡林はすでに直接的なプロテストソングに行き詰まりを感じており、ロックへの転向を模索していた)などにより1969年9月、3ヶ月余りのスケジュールを残したまま一時蒸発。

書き置きは『下痢を治しに行ってきます」。



1970年4月、コンサートに再登場、「ごめんやす。出戻りです。お互い堅くならんといきましょう」と話した。

この時期からボブ・ディランに影響を受けたロックを、当時無名だった伝説のフォーク・ロックバンド『はっぴいえんど』(細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂)をバックに展開し始める。


「それで自由になったのかい」「私たちの望むものは」「自由への長い旅」などの作品を発表、喝采を浴びて東京に移り住み、一夫一婦制ナンセンスを唱えて自由なヒッピー風生活をするが行き詰る。

1971年の日比谷野外音楽堂での「自作自演コンサート 狂い咲き」および、「第3回中津川フォークジャンボリー」を最後に、表舞台から再び姿を消す。


●学生集会で必ず歌われた「友よ」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=5-64hDKchnA


新宿西口「広場」の反戦デモ等で歌われ、熱狂的な支持を得る。
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=d-9Ciu4ciqY



●岡林信康&『はっぴいえんど』の「私たちの望むものは」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=kjAI9V1G6bA


この(↑)の「中津川フォークジャンボリー」のメインステージは岡林信康が演奏していたが、その脇にある「サブステージ」に吉田拓郎が初出演し、「人間なんて」という一曲を延々2時間に渡り「叫び続け」、メインステージの客をサブステージに引き込む。

この頃、吉田拓郎は岡林信康にかなりライバル意識を持っていて、「私は狂っている」という歌の中で「岡林信康の歌をどう思う?」と歌ったり、ライブでは「はっぴいえんどほどいい音を出せないミニバンドをひきつれています」等と発言している。



●部落問題を背景にした歌も歌っている。「チューリップのアップリケ」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=Pw4uN52SytE


「フォークは反戦歌、反体制」というフレーズをいいにしろ、悪いにしろ、広めたのは、この岡林信康の存在が大きい。



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タグ:岡林信康
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日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●森山良子「この広い野原いっぱい」(1967年) [日本のフォークの歴史]

ご存じ、森山直太朗のお母さんにして、日本フォークの「ジョーン・バエズ」と呼ばれた女性フォークシンガーの先駆者だ。

平成18年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。平成20年秋紫綬褒章受章。

「かまやつひろし」とは従兄弟関係にある。



澄み切って伸びる高音が美しい。


●森山良子「この広い野原いっぱい」(デビュー曲)
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=NImP10RNk9g



●反戦歌にして叙情的な「さとうきび畑」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=zZ7Pr-ATHjk


「ざわざわざわ~~♪」

この歌をモチーフにしたテレビ番組「さとうきび畑」(明石家さんま主演)は感動の名作だった。



●「涙そうそう」 BGINとの合作。
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=bXho3NK2CDw




●「今日の日はさようなら」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=LQwbNrI0UVM

この曲は僕が中学2年の音楽の時代にクラス全員で合唱した。

バス遠足の中でも歌ったな。




●「歌ってよ夕陽の歌を」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=1yoJrDtTELs

吉田拓郎作曲、岡本おさみ作詞の名曲。



この森山良子がいなかったら、ユーミンも中島みゆきもいなったかもしれない、というぐらいの存在です。




■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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タグ:森山良子
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日本のフォークソングの歴史・昭和のフォーク●ザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」 [日本のフォークの歴史]

1965年、当時大学生の加藤和彦の雑誌「MEN'S CLUB」での呼びかけに応じ、北山修が妹の自転車で加藤を訪ねる。

その後、平沼義男、浪人生の井村幹生、芦田雅喜が加わって5人で結成され、「世界中の民謡を紹介する」というコンセプトから「ザ・フォーク・クルセイダーズ」と名乗る。

その後、受験勉強のため井村と芦田が脱退、3人組となる。

その後芦田が復帰、再び4人組で活動するが、芦田が2度目の脱退をし、またも三人組になり、関西アンダーグラウンドシーンで活動していた。

1967年の解散を記念して、製作費23万円で[1]自主制作盤のアルバム『ハレンチ』を制作。

300枚しか制作できなかったこのアルバムの中に、自作の「帰って来たヨッパライ」と、アマチュア時代から歌い続けてきた「イムジン河」が含まれていた。

プロデビューに当たっては、平沼らに代わって「はしだのりひこ」が参加する。


フォークソングをいっきに一般市民に浸透させたのが、このザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」だ。

解散を記念した作られたこの曲が、ラジオの深夜放送から火がつき、いっきに日本列島を駆け巡る。

僕も小学校からの帰り道に「おらは死んじまったダ~~~♪」とよく歌っていた。

この曲はオリコンで史上初のミリオンヒットになる。


ザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=q74_DZWxxSI


この早送りの甲高い歌が、日本人に「なんて、歌なんだ!」と思ったもんだ。

日本レコード大賞の特別賞までもらった。


解散が決まっていたザ・フォーク・クルセダーズが、この曲の大ヒットにより、メジャーデビューし、数々の名曲を世に出す。


●『あの素晴しい愛をもう一度』
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=gY4G_G2pyRo


加藤和彦の懐かしい姿。
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=QU37WHOkSPc


多くの歌手によるカバーがある。

誰もが知っている青春のほろ苦さをたたえた不朽の名作だ。

僕の高校3年生の時のクラスの応援歌として教室でよく全員で歌った。



●『悲しくてやりきれない』
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=hfzxpHnIRis


のちの吉田拓郎の名作「どうしてこんなに悲しいんだろう」につながる哀愁の名作だ。



ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーの「北山修」は今は精神科医になっている。

加藤和彦は自殺をし(2009年10月17日)、衝撃を僕たちに残した。

その他にこのザ・フォーク・クルセダーズからは、「はしだのりひこ」が「はしだのりひことシューベルツ」としてデビューし、『風』を大ヒットさせる。
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=4UaiSsD6ByM

さらに、はしだは、「はしだのりひことクライマックス」を結成し、『花嫁』をヒットさせる。
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=xHnDiCxPEa0



このザ・フォーク・クルセダーズの頃から「関西フォーク」という言葉が使われ始めた。



■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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日本のフォークソングの歴史・昭和のフォーク●小室等と六文銭「雨が空から降れば」「出発の歌」 [日本のフォークの歴史]

小室等。

日本のフォーク界の重鎮にして良心。


六文銭

初期:主なメンバーに、 岩沢幸矢、石川鷹彦、入川捷、小室のり子がいた。

バンド名は「四谷3丁目で目に付いた居酒屋の名」を採ったと岩沢幸矢が書いている。

その後、別役実の芝居などに楽団「六文銭」として参加。

この時期には歌手・役者など様々なメンバーが出入りしたという。

中川五郎とのカップリングのインディーズアルバム『六文銭/中川五郎』でURCからデビュー。

最盛期:主なメンバーに、及川恒平、四角佳子、原茂、橋本良一がいた。

『キングサーモンのいる島』をベルウッドレコードからリリース。

『サーカスゲーム』や上條恒彦と六文銭が歌った『出発の歌』(たびだちのうた)がヒットした。その1年後に解散。



四角佳子は吉田拓郎の一人目の奥さん。

吉田拓郎が四角佳子と結婚する時に作った歌が「結婚しようよ」。

のちに吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水らと小室等はレコード会社「フォーライフ」を設立し、初代社長になる。

小室等は拓郎とお酒を飲むと、最後はいつも「じゃ、拓郎、なんで戦争はあるんだ!?」と、戦争の話しになると、拓郎がラジオで愚痴っていた。



小室等と六文銭の代表曲。

●「雨が空から降れば」(1971年)
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=bF0R6SBG174

シナリオ作家の別役実の詩に小室等が曲をつけた、フォーク史上に残る名作だ。



●上條恒彦と六文銭『出発の歌』(1971年)
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=UZiRcFX8ezU


ヤマハ音楽振興会主催の「合歓ポピュラーフェスティバル'71」でグランプリを受賞した。
一般の人の間にフォークソングというジャンルが知られる前に、一躍、最前線に出た曲だ。
男性シャツのCM等にも使われた。



●小室等の名作「いま生きているということ」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=bkFz3tjUuDs


詩人、谷川俊太郎の詩に小室等が曲をつけた。
僕は、何度も、この曲に命を救われた。

谷川俊太郎との合作は他にも「お早うの朝」がある。


●「お早うの朝」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=_tO9hK6ucEk


●他の歌手に提供した曲の中にも名作がある。

『俺たちの朝』(松崎しげる)
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=LW8iPIs9Wyg





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日本のフォークソングの歴史・昭和のフォーク●遠藤賢司の「カレーライス」「満足できるかな?」「夜汽車のブルース」 [日本のフォークの歴史]

遠藤賢司。

ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」に触発され、自身も歌とギターを始め、1960年代後半のフォークシーンで頭角を現すようになる。

高田渡、南正人らと東京でアマチュアシンガーとして交流。

1968年8月、京都・山崎の宝寺で開催された「第3回フォークキャンプ」に初めて参加し、高石ともや、五つの赤い風船、加川良、ザ・フォーク・クルセダーズ、関西フォークの人々と知り合う。


カレーライスが好きで、渋谷に自分でカレーライスのお店も出していた。

また猫も大好きで、自分が飼っている猫に「寝図美」(ねずみ)という名前をつけている。


浦沢直樹『20世紀少年』の主人公の名前(遠藤健児)はこのフォークシンガーの名前からつけたと、僕は密かに勝手に思っている。


僕が初めて聴いた遠藤賢司の曲は従兄弟がLPから聞かせてくれた名作「カレーライス」(1970年)だ。
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=ofvwA6yLVVg

この曲の詩に出てくる「お腹を切った人」は、そう、三島由紀夫だ。



こういう「四畳半」的フォークソングを歌うと同時に、ロック調の「夜汽車のブルース」やハチャメチャな「満足できるかな?」も歌っている。



「夜汽車のブルース」
  ↓
http://www.youtube.com/watch?v=zcu1o3ynyIg



「満足できるかな?」
  ↓
http://www.youtube.com/watch?v=ZmGY0iALn1A


こういうパワフルま歌も僕は大好きだ。


そして、僕が一番好きなのが「踊ろうよベイビー」
  ↓
http://www.youtube.com/watch?v=4kzdm-JrzcQ



きみも僕と一緒に踊ろないか?


まだまだ一部の人にしか支持を得ていなかったフォークソングの時代の隠れた名作が多い遠藤賢司だ。




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タグ:遠藤賢司
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日本のフォークソングの歴史●高石ともや「受験生ブルース」1968年3月 [日本のフォークの歴史]

1965年頃からラジオの深夜放送が盛んになってくる。

そんな深夜放送はフォークソングの貴重な情報源となる。

この深夜放送で火がついたのが高石ともやの「受験生ブルース」。

笑えるし、ペーソスに満ちた歌になっている。
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=vsmam4anbJw


高石ともやはその後「ザ・ナターシャー・セブン」を結成。

この名前は自分が転居した福井県遠敷郡名田庄村(現在の大飯郡おおい町)に由来する。

マラソンなどにも参加して、健康的なフォークシンガーである。




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タグ:高石ともや
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日本のフォークソングの歴史●マイク真木の「バラが咲いた」から五つの赤い風船の「遠い世界に」まで [日本のフォークの歴史]

●僕(1960年生まれ)の記憶の中で一番最初に「フォークソング」として残っているのが「マイク真木」の「バラが咲いた」だ(1966年)。
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=hNHlyGgcpdM

「バラが咲いた」はひたすら「バラが咲いた」ことを唄う。

何のメッセージ性もなく、ほのぼのした平和な歌だ。




●僕のリアルの記憶には無いけれど、のちに知ったこととして、 雪村いづみの「花はどこへ行った」というアメリカのフォークソングのカバーを出していた。
1963年。ビートルズが来日した年だ。(YouTubeには残念ながら雪村いづみの曲は無かった。)
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=KqrI0igP6oI




●1966年、「五つの赤い風船」が活動開始。「関西フォーク」のはしりだ。

リーダーの西岡たかしの曲の間の「しゃべり」が絶妙で笑わせるライブをやっていた。

代表作は「遠い世界に」。

これは今では中学校の音楽の教科書にのっている。
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=6hCoQwRrzHM



「五つの赤い風船」はメッセージソング、反戦歌も多い。

「血まみれの鳩」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=JelusdJd3Qo



「まぼろしのつばさと共に」も反戦歌だ。
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=Yu4NXY3ynng



若者への応援歌もある「これがボクらの道なのか」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=345EoyA2ptc



■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
             ↓
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